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サイト紹介

サイト紹介

このサイトを立ち上げた経過:

2013年4月に、あるグループ活動でホームページの学習を始めたのを切っ掛けに本サイトを立ち上げました。
一度2004年にホームページを公開しましたが2006年に閉鎖していましたので、そのリニューアルでもあります。
HTML5完全対応を目標にしています。文字コードはutf-8です。
セクションを示す要素の使い方にかなり曖昧なところがありますが、順次追加と訂正を行います。元々HTML5の学習を目的に立ち上げたサイトですから内容が今一です。
・・・と言いながら 「ご意見・お問い合わせ」、「アクセスカウンター」および「会議室」のプログラムは、web上で公開されているプログラムをHTML5対応へ修正して使わせていただいていますので学習になっていません。

2016年7月30日にレスポンシブWebデザインの考えに基づいてHTML5ファイルとcssプログラムを修正し、スマホでの閲覧に対応しました。
このバージョンはここで閲覧できます。

2017年11月15日にスマホでの閲覧を重視し、縦長のスマホ機器を片手で下半分を持った場合を想定して、表示を上に操作メニューを下に配置したレイアウトを試作しました。しかし、仲間内と家族の評価が低く未公開に終わってしまいました。
このバージョンはここで閲覧できます。

2018年3月6日、その反省を踏まえて現在のバージョンを公開しました。今回の更新では、擬似クラスの他に擬似要素を使った他 JavaScript もメニュー操作に利用しています。
更に、記事の追加およびメニューのサムネイル画像やスライドを追加した場合に全体の構成が乱れない様、各ページの定型化を計りました。今回の更新で記述が複雑になった部分は順次見なおして整理する予定です。

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対応ブラウザ:

パソコン(UbuntuとWindows10)の Firefox、Google Chrome と Opera、更にスマホ用の Android:Chrome と iPhone:safariで動作を確認しています。タブレットにも対応していますが、 1024px〜801px および 800px以下で横向き画面をタブレット表示へ設定していますからタブレット現物に対応できない場合があります。因みに、800px以下の縦向き画面はスマホ表示に設定しました。
尚、Edge でも一応正常に閲覧していただけるようですが、Internet Explorer に対応する予定はありません。

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自己紹介

物造りが大好きで、何かを作っていると落ち着きます。

小学生の頃は、学校から帰るとおやつ代を握りしめて文房具屋へボール紙を買いに走りました。帰ってメリケン粉を炊いて糊を作ります。今の様な多様な接着剤はありません。その頃は、澱粉糊、フノリ、ニカワ、ご飯を練って作った糊でした。しばらくしてセメダインが発売されましたね。セロテープもほとんど入手できませんでしたから代わりは使い古した罫紙を短冊に切って使いました。

収集は絵葉書と紙幣ですが小学生の頃から高校生頃までに集めたものが中心の思い出の品々で順次掲載します。説明を書き加えておりません。私の不勉強が原因ですが、じっと眺めて楽しんでいます。切手は成人してからの一時期、東京中央郵便局の切手普及課からシートで購入しましたがほとんど価値がないでしょう。

小学生の頃に鉱石ラジオのキットを買ってもらったのがラジオ少年の始まりです。
いろいろな思い出がありますが、小学6年生の頃に近所の魚屋さんのラジオの修理を請負って全く鳴らなくなって怒られましたね。でもその怒られた一番が「今夜の"君の名は"が聴けないじゃないか!」でした。 NHK連続ラジオドラマ『君の名は』のことです。 中学2年生頃、両親が外出したのを見計って同級生の今は亡き柴田 清君と二人で親父が使っていた高周波1段3バンド6球スーパーの調子が悪いのをいいことにこれを分解して5球スーパーへ作り替えました。両親の帰宅までに何とか音が出てホットしました。その後バレて怒られたのでしょうね、多分。
ラジオ・アンプと、いろいろ作りました。"HiFi"と称していた時代です。今も真空管アンプとトランジスターアンプが現役で、ほそぼそとLPレコードを聴いています。

1960年は、1月の新安保条約調印に始まる6月の国会審議への抗議デモに象徴される安保反対運動の年。大阪扇町公園での集会からデモ行進、仲間数人と「動静」なる小冊子を発行したり忙しい思い出の年。

その後、機械屋になりました。仕事は「工具設計係」での刃物と治具設計からスタート、専用工作機械設計、生産システム設計、いろいろあって樹脂インジェクション用金型屋でリタイアしました。

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コンピュータとのお付き合い

1974年仕事上の必要から機械工程を分析する為FORTRANを即席で勉強したのが始まりです。紙テープからのデータ入力の時代で、普段事務用に使っていたコンピュータを正月休みに借り切ってコンピュータ室にこもった記憶があります。今ならパソコンの表計算プログラで簡単に答えが出たのでしょう。

その後、富士通の端末型のFACOM 9450でBasicを使いましたが、今に続く所謂 "パソコン" は1986年にNEC9801シリーズが初めてで遅いスタートです。

当時(1985年〜)、自動車業界において3次元CADデータでの物造りが本格的に始まり、下請け企業にもそのデータでの物造りを求められる様になりました。しかし機材としての3次元CADはまだまだ黎明期でワークステーション上のCAD一式が1千万円〜の時代でしたから下請け企業には大変に重荷な要求になりました。
1987年、テスト的にNEC9801とAutoCADを購入しましたが、素材型のCADですから図面を描くにも寸法線機能がありません。AutoCADをLisp言語でカスタマイズ、一年掛かりで機械製図として使えるCADに仕上げました。翌年、データ授受と解析のために一台のワークステーション3次元CADと複数台のNEC9801+AutoCADを設置。SUNのエントリータイプをサーバとしてネットワーク環境を構築しました。当時のNEC9801のOSはMS-DOSでしたが、その後WindowsNTへ移行して安定した稼働になりました。C言語は機械制御用のネットワーク通信プログラムを書いたのが初めの終わりです。NC工作機械へデータを転送する所謂DNCシステムです。これもNEC9801とダイワボウ情報システムの光ケーブル(Pi-Net)を使いました。NECの9801全盛の時代からDOS/V機へ移行しましたが、現場のDNCシステムはその後もNEC 9801をメンテして使っていました。

自宅でDOS/V機を購入したのは1996年1月です。大阪、日本橋のTowtopでCPU:Pentium90MHz RAM:32MB で¥243,000でした。1997年にはISDNルーターのMN128-SOHO/DSUを¥51,800で購入、この辺りから自宅でのインターネット利用が本格化しました。
2010年頃から、Ubuntuが常用OSになりWindowsはお付き合い程度になっています。
最近は安価なサーバを改装したパソコンでBlender等の3DCGプログラムで遊んでいます。


--- 2014年10月01日 書きかけ ---
--- 2016年8月9日 一部修正と加筆 ---
--- 2018年3月6日 一部修正と加筆 ---

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